たるーの島唄コラム

第53回 シマウタと果報


 

「果報は寝て待て」という言葉がある。まさか「寝て待てば幸福が来るというなら何の努力もいらん」なんて理解する人はいないだろう。宝くじで億万長者になったような超ラッキーな人は別として。

 

さて「果報」とはもともと仏教用語で「因果報応」と同じように「前世の行いによって運が決まる」という意味だった。運は現世の行為ではどうにもならないから前世で徳を積んだならば現世では寝て待つのと同じだ、という信仰から生まれた言葉だ。

 

この「果報」という言葉を沖縄のあちこちで聞くことがある。もちろんシマウタにも多い。発音は「くゎふー」、「かふー」である。まずはこの曲から。

 

 

神からがやたら 結ばりてぃ縁や

浮世荒波ん 渡てぃ行ちゅん

二人や此ぬ世ぬ果報な者

(歌意)

神様が結んでくれた縁だろうか。浮世の荒波も渡って行く二人はこの世の果報な者だ。

 

 

「果報節」(作詞・作曲/普久原朝喜)というこの曲は結婚式の余興や民謡酒場などでよく歌われる。幸せな結婚も神様を大切にする者にこそもたらされるという内容で沖縄では人気が高い。

 

果報に「世」をつけた「世果報」(ゆがふ)という言葉がある。全ての人が幸福を享受できる世の中という意味だ。厳しい暮らしだった琉球時代のウタに多く使われている。

 

八重山民謡に世果報節がある。小さな新城島(ぱなり島)に生まれた。

 

 

サーサー昔からとぅゆむ 我がぱなり島や 高称久ばくさでぃ スリ世果報迎てぃ 

ウリ シタリガ ヤゥンザ シトゥテントゥンテン

(歌意)昔から知られた我が新城島は高称久という岡を後ろに据えて世果報を迎えて

 

 

新城島は小さな平坦な島で米作には向かず豊かな島とは決して言えないが、世果報節を歌うことで五穀豊穣がもたらされると信じられている。言霊の力だ。

 

 

大国の弥勒 我が島にいもち

うかけぶせみしょり 弥勒世果報 

(歌意)大国の弥勒様、我が村にいらっしゃって治めて栄させてください それが弥勒世果報

 

 

八重山民謡「弥勒節」。本島の「赤田首里殿内」という歌にも全く同じ歌詞があるが、大きな国から弥勒様がやってきて自分たちの生まれ育った村に幸せをもたらしてくださるという。弥勒は「みるく」と読み、「みるくゆがふ」は多くのシマウタに登場する語句である。

 

琉球、沖縄の人々は「言霊」(ことだま)を信じてきた。以前コラムでも取り上げた「かりゆし」や今回の「果報」「世果報」「弥勒世果報」は、それを唱えたり歌うことで人々に幸せをもたらすと信じられている。それは広く古代から日本人特有の信仰でもあったのではないか、という研究者もいる。

 

果報は日常会話にも使われる。例えば宮古島の人々が「ありがとう」と感謝の気持ちを表す時「すでぃがふー」(「すでぃかぷー」とも)と言うことがある。「すでぃ」は「生まれる」、「がふー」は「果報」だ。「生まれる」という語句とセットというところがとても深い所からの感謝という印象がある。

 

果報は言葉や歌となって、今日でも生きている。裏返せば琉球・沖縄の人々が厳しい現実と向き合う中で生まれた願いであり強い希望だからだ。果報を寝て待ちはしない。常に歌うのだ。

琉球古典の「かぎやで風」にも「果報」が。「あた果報」とは「思いがけない幸運」。