沖縄ビーチ巡礼

第5回「瀬底ビーチのリルワット族」

写真・文 富山義則/フォトグラファー


とみやまよしのり

1953年生まれ。フリーランスフォトグラファーとして出版を中心に数々の仕事をこなしながら、自然や歴史をテーマに数多くの写真展を催している。1970年代から90年代にかけて人気を博したカウンターカルチュアを代表する「別冊宝島」の表紙や「田舎暮らしの本」などを手がけ、2016年には、2008年に生産が中止となった期限切れのポラロイドフィルムを使った写真集を出版するなど、この斬新な試みも注目される。

瀬底ビーチでは水着モデルの撮影が頻繁に行われる時期もあった。

コヨテーズ 

 

 コヨテーズはカナダ・ブリティッシュコロンビア州にあるリルワット村のサッカーチーム。

ネイティブカナディアンの大会で優勝したこともある。山奥に住んでいるけれどサーモンイーターと呼ばれるコースト・セイリッシュの一族になるらしい。

 

「ジェームス、走れー!シュートだ。打て、打てー!

  「ヒップ。パス出せ、こっちだ。左が開いてるぞ」

  「ロバート、八番マークだ。戻れー、シュート打たせるなよ」

 ネイティブカナディアン、リルワット族のサッカーチーム「コヨテーズ」日本遠征最後の試合も、残念ながら沖縄国際大に10で負けてしまった。

  さて、なぜ彼らが沖縄に来たのか。話はカナダに留学している日本人学生と彼ら暮らす村との交流から始まった。多くの人の協力でリルワット族の青年たちが日本へサッカー遠征することが実現したのだが、ひょんなことからこの遠征をプロデュースすることになった僕は遠征の最後は山奥のリルワット村の青年たちに沖縄の美しい海を最後に見せたいと考えていたのだった。

 

 

ネイティブカナディアンの伝統的な絵をお土産に持って来てくれた。この絵はキラーホエール。

太陽とSisutlをデザインしたそうだ。残念だがSisutlが何かはわからないが獅子舞を連想してしまった。

 

  宿舎は沖縄タイムスの協力で屋我地島にあるタイムスの保養所を使えることになっていた。今はもう無いけれど木造の古い二階建ての一軒家だった。これがかえって彼らには良かったように思う。自然の少ない日本の風景にすっかり疲れ果てていた「コヨテーズ」のメンバーは、みるみる元気を取り戻しつつあるように見えた。そういえばリルワットの村にはコンクリートの建物はほとんどない。村に戻ったような居心地の良さを感じたのかも知れない。木のある生活は人をリラックスさせてくれる。目の前には遠浅の海が広がり、夜には月を眺めることもできた。夕方になると、庭にバーベキューセットを持ち出し、波の音を聞きながらみんなで晩ご飯を食べる。カナダでは考えられないような暖かい海辺の生活に、沖縄の自然の楽しさを文字通り肌で感じているようだ。ぼくは前にも述べたように、彼らを連れて行きたい所があった。瀬底島のビーチである。そのころはまだ、人気がでる前のビーチだった。水着の撮影するため撮影隊が順番待ちすることもあったが、隠れたイチャンダビーチ。地元の人が時々泳いでいるくらいで、ビーチは閑散としていた。どんなに騒いでもどこにも迷惑をかける心配はない。

 「明日は休日だ。美しいビーチにみんなを招待するよ」

 瀬底島のビーチにみんなを連れ出して、見たことのないような美しい海を見せてあげよう。

当時の瀬底ビーチ入り口の光景。

 

  マイクロバスが瀬底大橋にさしかかると、窓の外に見えて来たコーラルグリーンの海の色にみんな驚いて、車内からは歓声があがった。素晴らしい沖縄の海が広がる光景である。

  ビーチの横に到着すると、待ちきれなかった青年も子供達も我れ先に飛び出して行った。じゃれ合いながら白い砂に埋もれて歩くのがいかにも楽しそうだ。どの顔にも笑顔が一杯ひろがっている。その様子を見ながら、ぼくたちはモクマオウの林の中にバーベキューのセットをひろげて昼ご飯の準備をすることにした。ビーチの上でバーベキューすると真っ黒い炭が砂に混じり、せっかくの白い砂浜が灰色になってしまう。美しさを維持できなくなってしまうからね。ビーチパーティをするとき、炭のコンロはやめて、ガスコンロを使用する心遣いがが沖縄の自然を守るには必要だ。

  さて、肉を焼いてあたりにおいしそうな匂いが漂い始めると、まずおなかを空かせた子供達が興奮しながら戻って来た。

 「きれいな魚が一杯泳いでるんだ。初めて見るよ。なんと言う名前なの」

 「なんであんなに海の色が青いの、なんで砂が白いの、どうして透明なの」

  質問攻めだ。

 「ぼくも知らないよ。でもきれいだよね」

 「トミー、連れて来てくれてサンキュー」

  肉をパンに挟み、口にくわえながらすぐ海に戻って行った。楽しくて、楽しくて仕方がないようである。子供達だけではない。チームのメンバーも海の中で大はしゃぎしている。ここでは、肌の色も人種も気にする必要など全くない。心行くまで楽しんでほしい。

 「リーフの向こう側は急に深くなっているので、気を付けてくれよ」

 「了解、トミー。心配するな。この肉はうまいぞ、焼き方も上手だ」

白い砂浜を歩くだけでも開放感に浸れる瀬底のビーチ。

美しい海だけれど潮の流れには注意が必要である。

 

静かで美しい海と白い砂浜に人は惹きつけられる。

 

 

 

 

 そのとき海パン姿の二人の白人が現れた。たぶん休暇中の米兵だろうと思う。周りにいたメンバーに緊張が走る。それまでリラックスした雰囲気だったのが一瞬にして重苦しいものになった。ぼくはびっくりした。と同時に、彼らのこれまでの歴史が白人との戦いであったことを思い出した。アルビンはこれまでの歴史のなかで、白人との契約が守られた試しがないといっていた。彼らの歴史はだまされ続けた歴史でもある。気分の良いはずもない。

  二人の白人はこちらを見ると去って行った。沖縄には米軍基地があることをみんなに言わねばならない。どうしてこんな楽園のような所に基地があるのか問われるに違いなかった。

 

 

対岸に見える水納島にも美しいビーチがある。

 

 

  休日を終えて那覇に戻り、帰国の飛行機を待っている間に突然喜納昌吉さんから連絡がきた。奥武山競技場で行われる彼のロックコンサートにゲスト出演しませんかという話だった。彼らは喜んだ。中学生のマーロンが舞台の前で踊り、青年達が後ろに一列に並んで太鼓を叩いてリズムを取り歌う。マーロンはイーグルダンスを披露することになった。ぼくも彼らのイーグルダンスは初めて見るので楽しみにしていた。控え室で出番を待っていたら次々に有名なゲストがやって来た。ジュディ・オングさん、高石友也さん、まだ元気だったドントさん等々。

 「あのきれいな人は誰?

 「台湾出身のシンガーだよ。ほかにも一杯有名なシンガーがいるよ」

 「じゃあ僕たちもその仲間なのかな」

 「そういうことだね」

 「すごいや」

  子供達は周りを見ながら興奮していた。

 「次のゲストはリルワットのみなさんです。大きな拍手をお願いします」

  いよいよ出番がやって来た。場内のアナウンスはカナダからやって来た先住民たちが民族ダンスと歌うことを紹介している。次々に舞台に駆け上って行くメンバーの顔はさすがに緊張していた。

 「ワァーッ、パチ、パチ、パチ」

  大きな歓声と、拍手が聞こえてくる。舞台の上にみんながそろった。一瞬静まる会場。

 「ドン、ドン、ドン」

  リロイの太鼓の音を合図に歌とダンスがはじまった。たぶん、初めて生で見たであろうカナダ先住民の歌とダンスは、沖縄の人々の暖かい拍手が大成功だったことを知らせてくれた。

  その夜は喜納昌吉さんと出演者の打ち上げパーティにも顔を出して、メンバー達は一晩中大騒ぎの那覇の夜だった。

  いよいよ最終日。メンバーはそれぞれ帰国の準備に忙しい。家族や友人へのお土産を買い求めるために、三々五々と那覇の街に出かけて行った。子供達は留守番である。知り合った日本のガールフレンドに一生懸命電話をかけている奴もいる。うまくいけば良いけどこればかりはどうしようもない。

  ジョッシュが寂しそうな顔でやって来た。買い物に行きたいのかな。

 「トミー、見せたいものがあるんだけど、ちょっと来てくれ」

  ホテルのテラスにあるベンチまできて、

 「ここに座っていてくれ、ちょっと部屋までいってくる」

  と言い残して姿を消した。小さなバッグを手にして再び現れ、この前は見せようとしなかったプラスチックのケースから写真を取り出した。それは彼の家族の写真だった。

 「これはぼくのお母さん、これはお父さん。こっちがみんなで撮った写真だよ。いとこの写真もあるから見せるよ」

  次々に自分の血族の写真を広げて説明しはじめた。なぜぼくに見せる気になったのか判らないが、話している彼の顔は真剣だった。一ヶ月にわたる日本の旅でいろいろなことを感じとって、たぶん彼は自分のことを良く知ってもらいたかったのに違いない。彼の言葉を聞きながらぼくも旅の終わりが来たことを悟った。

 「ジョッシュありがとう。君のことは一生忘れないよ」

 「ぼくもだよ、トミー」

 

  彼らはあっという間に那覇空港から笑顔で去って行った。「コヨテーズ」の日本遠征は成功したのだろうか?飛び去る飛行機を見ながら、考えてみたがその答えは僕には解りようもなかった。

 

そうそう万座のハーリー競争にもゲストで出場したけど勝てなかった。「応援パフォーマンス賞」をもらった時は嬉しそうだった。日本遠征の良い思い出になるに違いない。